都は
泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)。
稲荷山古墳出土金象嵌鉄剣銘に見える「斯鬼宮(しきのみや ・磯城宮)」も朝倉宮を指すと言われる(別に河内の志紀(
大阪府八尾市)とする説もある)。伝承地は
奈良県桜井市黒崎(一説に岩坂)だが、
1984年、同市脇本にある脇本遺跡から、5世紀後半のものと推定される掘立柱穴が発見され、朝倉宮の跡とされ話題を呼んだ。これ以降一定期間、初瀬に皇居があったと唱える人もいる。尚、『
日本霊異記』によれば、磐余宮(いわれのみや)にも居たという。
記紀によれば安康天皇3年(
456年)8月、安康天皇が幼年の
眉輪王(まよわのおおきみ、古事記では7歳)により
暗殺されたという。これを知った大泊瀬皇子は兄たちを疑い、まず八釣白彦皇子を斬り殺し、次いで坂合黒彦皇子 ・眉輪王をも殺そうとした。この2人は相談して
葛城氏の
円大臣(つぶらのおおおみ)宅に逃げ込んだが、大臣の助命嘆願も空しく、大泊瀬皇子は3人共に焼き殺してしまう。さらに、
市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ、
仁賢天皇 ・
顕宗天皇の父)とその弟の御馬皇子(みまのみこ)をも謀殺し、政敵を一掃して
11月に大王の座に就いた。即位後も人を処刑することが多かったため、後に
大悪天皇と誹謗される原因となっているが、大悪天皇の記述は
武烈天皇にも見られることから両者は同一人物ではないかとの説もある。