戦国期には都留郡を領した
小山田氏が市域を本拠としている。小山田氏は国中地方における守護
武田氏と国人領主の抗争に介入して武田氏と争い、信虎期に武田氏と和睦して武田家臣団に加り、晴信(信玄)期に活躍し勝頼期には武田氏滅亡に際して討伐される。小山田氏ははじめ桂川支流大幡川左岸にあたる中津森館を本拠としていたが、武田氏の
甲府城下町造成と平行して現在の都留市中心市街にあたる
谷村の地へ居館の移転を行い、
谷村館(正確な所在地は不明)を中心に城下町整備を行う。谷村は後の
甲州街道から分岐し吉田へ至る
富士道が通り、中世には市も成立した要地で、近世に甲斐国を領した徳川氏や豊臣系大名時代にも政治的拠点として活用された。また、桂川を挟んで谷村の対岸には小山田氏の詰城であると考えられている
勝山城があるが、城跡からは豊臣系大名の浅野氏時代の居館や屋敷地の遺構が発見されており、桂川左岸に新たな城下町造成が企図されていた可能性も指摘されている。
江戸時代には谷村城が築かれ
鳥居氏、
秋元氏二代の
谷村藩が成立し郡内地方の政治的拠点となり町場が発達する。秋元氏時代には郡内地方における用水堰の開削や
郡内織の新興が行われているが、市域でも秋元氏時代の開削と言われている
谷村大堰があり、近世には郡内織も広く営まれていた。宝永元年(1704年)に秋元氏が武蔵国川越へ転封されると郡内地方は幕府直轄領化となり、谷村城は破却されて谷村には陣屋が設置され町場は衰退する。