闔閭の後を継いだ次男の
夫差が報復の準備を整えつつある事を憂えた勾践は、先手を打って仕掛けたが逆に大敗し、越は滅亡寸前にまでなったが勾践が謝罪したために滅亡は免れる。謝罪後、勾践は呉で使用人として労働を命じられたりしたが、
范蠡の助けを借り、越は呉への復讐心から着実に力を蓄えてゆき、呉が伍子胥を殺害し夫差が中原に諸侯を集め会盟を行ないに行っている隙を突き呉を攻め、呉に大打撃を与え、
紀元前473年には呉を滅ぼした。呉を滅ぼした勾践は、越の都を現在の
山東省の琅邪に遷し(
江蘇省連雲港との説もある)、更に諸侯を会盟して中原の覇者となった。