1877年5月13日、
岡山県浅口郡大江連島村(現在の
倉敷市連島町)に、薄田篤太郎、里津の長男として生れた。父は村役場の書記で、
俳諧を嗜んでいた。玉島高等学校を経て、岡山県尋常中学校(後に第一岡山中学校。現在の
県立岡山朝日高校)を中退。1894年上京し、
上野書館に通いながら塾で独学する。1897年帰郷すると、いくつか詩を作り「新著月刊」に投稿、
後藤宙外、
島村抱月らに絶賛され掲載された。翌年第一詩集『暮笛集』を刊行、「
小天地」を編集しながら「
明星」などに詩を載せ、『ゆく春』『白羊宮』など、古語や漢語を多用した詩風で、
蒲原有明とともに泣菫・有明時代を築き、
島崎藤村、
土井晩翠後の明治後期の詩壇を背負って立った。