二条良基が僧
救済(ぐさい)の協力を得て撰集し、
1356年(
正平11年/
延文元年)に成立
[文和5年(延文元年)3月25日付の二条良基の和文序と近衛道嗣の漢文序がある。なお、洞院公賢(近衛道嗣正室の祖父)の日記『園太暦』同年8月20日条によれば、道嗣が「よんどころのない事情」で8月18日(漢文序日付の5ヶ月後)に序文を書いたと記されており、この過程で紆余曲折があったことが知られる(木藤才蔵『二条良基の研究』(桜楓社、1987年) ISBN 978-4-273-02177-1 P57-58)。]、翌
1357年(正平12年/延文2年)閏7月11日に勅撰に准ぜられ、最初の准勅撰連歌集となった。連歌集の成立及び准勅撰の指定については
佐々木道誉の力添えが大きかったことから、出詠者には
天皇家・
公家のほか
足利尊氏・
義詮・佐々木道誉などの
武家が多く含まれている。古来からの
連歌も収められ、連歌の変遷を見ることができる。また、この連歌集の撰出により連歌が和歌から独立し、独自の文化としての地位を占めるようになった。作者名の明らかな者は450名で鎌倉期以後の作者が大部分を占めている。