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「石川さゆり」||本-master.com 【05/27update】

石川さゆり wikipedia|無料辞書

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| Name = 石川さゆり
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| Landscape =
| Background = singer
| Birth_name = 石川絹代
| Alias =
| Blood = A型
| School_background = 堀越高等学校卒業
| Born =
| Died =
| Origin = 熊本県飽託郡飽田村(現熊本市)
| Instrument =
| Genre = 演歌
| Occupation = 演歌歌手
| Years_active = 1973年 -
| Label = 日本コロムビア
ポニーキャニオン
テイチクエンタテインメント
| Production = ホリプロ
さゆり音楽舎
| Associated_acts =
| Influences =
| URL = [外部リンク] 石川さゆりオフィシャルウェブサイト
| Current_members =
| Past_members =
| Notable_instruments =
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石川 さゆり(いしかわ さゆり、1958年1月30日 - )は、熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市)出身の日本演歌歌手。本名・石川 絹代( - きぬよ)。堀越高等学校卒業。

◆ 来歴
小学2年の時、島倉千代子のコンサートに接し感動、次第に歌手を志すようになる。小学5年時に一家で横浜市神奈川区に転居、のち歌のレッスンを受け始めるレッスンの費用は牛乳配達のアルバイトで捻出したという。
横浜市立城郷中学3年の夏休みに、フジテレビのオーディション番組に(応募したものの参加できなくなった友人に替わって)参加し合格。同年秋にはフジの別の番組にレギュラー出演したという(2009年3月17日放送「ぴったんこカン・カン」より)。
1973年3月25日、「かくれんぼ」でアイドル歌手として日本コロムビアよりデビューキャッチフレーズは“コロムビア・プリンセス”だった。しかしデビューから暫くは花の中三トリオなどの影に隠れて、大きな人気を得るには至らなかった1973年には石川と森昌子山口百恵でのユニット「ホリプロ三人娘」が企画され、イベントも開催されたが、短期間で頓挫した。
それから4年後の1977年に「津軽海峡・冬景色」が大ヒットとなり、第19回日本レコード大賞歌唱賞など、数々の音楽賞を受賞した。また同1977年発売の「能登半島」「暖流」もヒット、1980年代に入ってからも「波止場しぐれ」「天城越え」「夫婦善哉」「滝の白糸」「風の盆恋歌」など順調にヒット曲を世に送り出し、日本を代表する女性演歌歌手の一人となった。2008年までNHK『紅白歌合戦』に通算31回出場している。
1981年、元マネージャーの馬場憲治と結婚。1984年2月に長女を出産、1989年2月に離婚。石川は「私は平成に入って最初に離婚した芸能人」と明るく語っている。
ホリプロに所属していたが、後に独立し、個人事務所「さゆり音楽舎」を設立。レコード会社は、デビューから20年間日本コロムビアに所属したが、1993年にポニーキャニオンへ移籍。1999年、ポニーキャニオンの演歌部門撤退に伴い、2000年にテイチクエンタテインメントへ移籍し現在に至る。

◆ NHK紅白歌合戦出場歴
石川は、1977年・第28回紅白にて「津軽海峡・冬景色」の大ヒットを背景にデビュー5年目にして初出場。1983年に産休に入ったため、同年第34回の紅白は出場辞退(ただし特別ゲストとして出演した)。翌1984年より再び復帰し、2008年・第59回まで25回連続出場。通算出場回数は31回で、紅組歌手の中では島倉千代子和田アキ子に次ぎ3位。白組の五木ひろしと同じく、1985年以降は実力派がひしめく最終コーナーの常連でトリも5回取っている。