横手中学でのあだ名は、か細かったことから「夜蛾(ヨガ)」。3〜5年生時に国語と作文を教わったジャーナリスト
むのたけじは、前から成績の悪い順に着席していた当時の教室で、授業中教師と目を合わせないようにうつむいていた前列の者たちが、石坂の授業においては「あててくれ」といわんばかりに顔を上げるようになり、教室の風通しがよくなったと感じていたとのこと。また、英語の試験の試験官をしていた石坂が、答えのわからない生徒たちに聞かせるかのように窓の外に向かって正解をつぶやくのを数度目撃した。教室で人を解放させるようなあたたかなムードを持ち、空気のように包まれる感じであったと回想している(
読売新聞秋田版、2008年9月10日、『あの日 X年前 - 82年前、1926年』)。
戦後は『青い山脈』を『
朝日新聞』に連載。映画化され大ブームとなり、「百万人の作家」といわれるほどの流行作家となる。数多くの映画化、ドラマ化作品がある。
1966年、「健全な
常識に立ち明快な作品を書きつづけた功績」が評価されて第14回
菊池寛賞を受ける。しかし石坂自身は「健全な作家」というレッテルに反撥し、受賞パーティの席上で「私は私の作品が健全で常識的であるという理由で、今回の受賞に与ったのであるが、見た目に美しい
バラの花も暗いじめじめした地中に根を匍わせているように、私の作品の地盤も案外陰湿なところにありそうだ、ということである。きれいな乾いたサラサラした砂地ではどんな花も育たない」と語った。