仏教の学究を進めるにしたがい、
経典の漢語訳出にくらべて
戒律が中国仏教界において完備しておらず、経律ともに錯誤や欠落があるのをなげき、
399年(
隆安3年)、慧景、慧応、慧嵬、道整等の僧と共に
長安から
インドへ求法の旅にたった。途中
ホータン王国を経由しつつ6年かかって中インド(中天竺)に達し、
王舎城などの仏跡をめぐり、『
摩訶僧祇律』、『
雑阿毘曇心論』などをえて、さらに
スリランカにわたり、『
五分律』、『
長阿含経』などをもとめた。
413年(
義熙9年)海路で
青州(今の
山東省)へ帰国したが、帰国できたのは法顕のみであった。彼の記した旅行記を『
仏国記』(別名、『法顕伝』、『歴遊天竺記伝』。英語とフランス語に翻訳されたものが存在)といい、当時の中央アジアやインドに関して書かれた貴重な史料となっている。
彼が記したといわれている旅行記『仏国記』中の記述には、
東南アジアを出帆してから、中国の青州に法顕が漂着するまで、余りにも日数がかかり過ぎていることを、
中央アメリカの原住民の伝承とを結びつけて、
アメリカ大陸を発見したのは実は法顕である、ということを考証している学者達が中国におり、研究書が出版されている(下記の関連している外部リンクを参照)。