周代、江蘇南部に
呉が建国され、東周の諸侯国に列せられた。呉国は徐々に長江下流の有力な勢力となり、長江を越え諸文化を有する村落を併合、諸氏は次第に呉人に融合していった。呉の勢力拡大に伴い、西部では
楚と、東部では
越と衝突をした。そのため呉は晋との友好関係を構築し楚越同盟に対抗した。春秋末期、呉は国王闔閭の時代に最盛期を向かえ、都城を姑蘇(現蘇州)に遷し、
前484年には山東省に位置した北方の強国であった
斉を打ち破るなどの勢力拡大を実現したが、
前473年に越により滅亡し、その勢力下におかれるとそれ以降100年間程度の期間呉人は越人に次第に融合し、呉越両文化の融合が見られた。
前333年、越は西方より
楚による攻撃を受け、旧呉領域などの北部地域を喪失、江蘇は楚の版図に含まれることとなった。最終的に秦が
前221年に中国統一事業を統一すると江蘇も秦の版図に含まれた。