『
万葉集』が編纂された
奈良時代より和歌が
日本語による唯一の文芸であるという自覚が芽生えつつあったが、『
古今和歌集』が編纂された
10世紀初め頃より、
漢詩の
紀伝道(文章道)に対抗して「うたのみち」が唱えられるようになった。
紀貫之の邸宅で開かれた
曲水宴の際に作られた『三月三日紀師匠曲水宴(紀師匠曲水宴和歌)』の序文を書いた
凡河内躬恒が「うたのみち」と述べたのが代表的な事例である。更に『古今和歌集』が編纂された
醍醐天皇の治世が「
延喜の治」と称されたことから、
勅撰和歌集の編纂と
聖代思想が結びつくことになった。更に
遣唐使廃止後の唐風文化の衰退と
国風文化の高揚が、
歌会・
歌合などの行事を活発化させ、それにつれてより良い和歌を作成するために必要であると考えられた歌題・題意の組織化と規範化、和歌に関する古典・有職研究の専門化が進展した結果、学問として体系化された「歌道」が成立した。