共通語が「その地域内で意思疎通を行うための便宜的な言葉」であるのに対して、標準語とは「人為的に整備された
規範的な言葉」を指す。また標準語とは「こうしゃべる/書くべきである」という規範であり(
ゾレンとしての共通・標準言語)、共通語は標準語を念頭におきつつ「実際こうしゃべって/書いている」という実状の言語である(ザインとしての共通・標準言語)という考え方もある。後者の説によれば、標準語とはすべての人が共通して持つ規範(標準)であり、しかし実際には誰一人その通りに会話していない、形而上的な標準語であり共通語であるといえる。
日本語においては、主に
東京山の手において使用される言葉を基に標準語が整備され
[http://www.let.osaka-u.ac.jp/~kinsui/zyugyou/history/2000/kangaku/yakn04.pdf][http://www.sed.tohoku.ac.jp/library/nenpo/contents/53-2/53-2-03.pdf](うち最も代表的で革新的だったのは
小学校における
国語教科書である)、これに文壇の
言文一致運動が大きな影響を与えて、現在の標準語の基礎が築かれた。なお「標準語」という用語は
岡倉由三郎による
Standard Languageの日本語訳である。しかし近代においては官公庁の公式文書等には主に漢文の書き下し文である
普通文が用いられた。
太平洋戦争以後は国家的営為としての標準語政策は行われなくなり、また各地の方言を見直す動きが現れたり国家が特定の日本語を標準と規定することに否定的な考えが生まれたりした
[「標準語の設定は各個人がその設定者であるべく、少なくとも責任者であるべし」石黒魯平(昭和25年)『標準語』、「関西弁を基盤とした標準語の存在を認めよ」梅掉忠夫(昭和29年)『第二標準語論』(真田信治(1987年)『標準語の成立事情』PHP研究所より)]。そのような中「共通語」という用語が登場し
[昭和24年国立国語研究所が福島県白河市を調査した際、東北方言と標準語の中間のような言葉を話す人々がいることが分かり、この言葉なら全国共通に理解しあえるとのことから、国立国語研究所がこれを「全国共通語」略して「共通語」と名付けた「[外部リンク] そもそも日本語の「共通語」ってどうやってできたの?」『R25』リクルート、2005年10月6日。真田信治(1987年)『標準語の成立事情』PHP研究所]、これまで標準語と呼ばれてきたものは共通語と言い換えられるようになった。国語学の世界では共通語は「現実であり、自然の状態」、標準語は「理想であり、人為的につくられるもの」と定義され区別された。そのため、意識としての標準語は現在も続いているが、国語学的な意味での標準語は現代の日本には存在しない。
日本語の標準語・共通語の大きな特徴は、それが圧倒的に
書記言語偏重であることであって、口頭言語については、発音・イントネーション・アクセント等の面でまだ固定した規範が完全に成立しているとは言いがたい。かつては
NHK の
アナウンサーが最も標準的な日本語を話すとされた時期もあった(現在でもそうだという考えもある)。しかし現在の
NHKでは、異動範囲が限定される地方枠での人材採用を進めていることもあって、
アナウンサーによる画一的な標準語がかつてほど重視されなくなってきているなど、放送メディア上でこのような規範を追求しようという傾向は以前よりは弱まっている。例えば「電車」のアクセントは元は「
デンシャ」が正しいとされてきたが、近年では「デ
ンシャ」(
太字は高く発音)も広がりつつあり、メディアや駅の案内放送でも2通りのアクセントが混在している
[http://www.athome-academy.jp/archive/literature_language/0000000194_02.html]。
日本語における書記言語偏重は、標準語形成期に音声メディアが未熟であったこと、
漢文などの筆記言語が伝統的に重んじられ
江戸時代から
識字率も高かったこと、臨場感ある新聞報道や小説を書くための文章をつくるという目的意識が
言文一致運動を支えていたこと、などがその理由として挙げられる。