東宝では宣伝部や調査部などに勤務していたが、
1948年に労働争議で退職、『キネマ旬報』同人となり、『アメリカ映画』の編集委員を務める。
1949年から本格的に映画評論を書き始め、『
キネマ旬報』『
映画之友』『
スクリーン』などで活躍。ニックネームの「J・J」とは、このころ『
映画芸術』に発表していた三人称スタイルの評論の中に自らの分身を「シネマディクトJ」(シネマディクトとは映画中毒者の意。Jは甚一の頭文字)の名で登場させた後、この評論を単行本に収録する際、語呂がいいとしてJ・Jと改めたことに由来する。