社名(局名)の「21」は
アナログ放送のチャンネル番号に由来している。一部では「
21世紀」という意味合いを持たせていると誤認されているが、21世紀とは直接関係ない(ただ1998〜2001年の間「21世紀マン」というステーションキャラクターを採用していた事があり、その際には後付けながら「21世紀がやってくる」などと21世紀に絡めつつ社のPRを行っていた)。開局当初の略称は前述の通り「
NT21」。英称「
Niigata
Television Network
21」の頭文字から取った。尚、親局のチャンネル番号を正式社名として使用しているテレビ放送局は、現状では新潟テレビ21のみである(登記上の社名は上記の漢数字表記となっている)。他にチャンネル番号を社名や略称に採用した事例には、東京12チャンネル(1981年、
テレビ東京に改称)、
ミヤギテレビ(mm34。1985年、MMTに改称)、
富山テレビ(T34。1994年、BBTに改称)などがある。
元来、新潟県のANN・テレビ朝日(当時はNETテレビ)系列は1968年開局の
新潟総合テレビ(NST)であった。当時、
朝日新聞社が全国朝日系テレビネットワークを構築すべく、全国各地にUHF新局の開局申請を行い、その結果他系列と相乗りになる形で曲がりなりにも朝日系のテレビ局が開局した。NSTも
読売新聞等の相乗りながら、一応は朝日系のテレビ局としてANNにも加盟していた。しかしながらNSTはもともと
フジテレビとの関係が深く、クロスネットをしていたNETテレビと
日本テレビの両陣営は新たにテレビ免許の可能性が出てくると、ともにNSTを諦めて新局開設に注力することとなった。しかし
1973年に県内3局目のチャンネルプランの割り当てがなされた際には、申請者の一本化に失敗して計画は頓挫。
1980年に改めて3・4局目のチャンネルプランが割り当てられ、両陣営の激しい免許争奪戦の末、結局1981年に日本テレビ系列のテレビ新潟(TNN、現TeNY)が開局。2年半後にテレビ朝日系列のNT21が開局することとなった。それまでの2年半の間、テレビ朝日は新潟県においては引き続きNSTと優先ネットを結んでいた。
通常、地方局の開局にあたっては親会社であるキー局(この局の場合はテレビ朝日)や新聞社(この局の場合は朝日新聞社)が強い力を持つが、NT21の開局に当たっては地元の政財界関係者もかなり注力したといわれている。これはテレビ朝日の大株主である
東映の創業者・
大川博が新潟県
西蒲原郡中之口村(現・新潟市
西蒲区)出身であったことや、新潟県が民放テレビの4局化を達成すれば、当時本州日本海側の県では初のケースとなること等が背景にあったといわれている(
近畿広域圏に属する
兵庫県、
京都府を除けば、現在本州の日本海側で民放テレビ局が4局ある県は新潟県、
山形県、
石川県の3県のみ)。更にNT21の初代社長には当時新潟商工会議所の会頭を務めていた、新潟臨港海陸運送(現
リンコーコーポレーション)社長の大久保政賢が就いていた事からも、それが窺える(大久保に社長就任を勧めたのは
田中角栄らであるという証言もある)。