後冷泉天皇は
三后並立の唯一の例である。後の
鳥羽天皇や
二条天皇、
後堀河天皇にも中宮・皇后となった后妃が3人いたが、同時期に3人の后が並立したのは後冷泉天皇が唯一である。
初めに立后されたのは章子で、次いで寛子が立后されたが、寛子立后にあたり、通常ならば先立の中宮である章子を皇后、寛子を中宮とするところを、章子の希望で章子は中宮のまま留め置かれ、寛子が皇后とされた。その後、天皇の死の直前に歓子が立后されたが、歓子立后にあたっては中宮章子が皇太后、皇后寛子が中宮とされ、歓子は皇后とされた。これは3人の入内順に則した序列にしたものと考えられる。