1645年6月、魯王・
朱以海が擁立され、監国と称して紹興に亡命政権が立てられる。同時に福州で唐王が隆武帝として即位し、
鄭芝龍や
黄道周らに補佐され、ここに南明は2人の皇帝が擁立されて分裂状態となり、魯王と唐王は正当性を巡って争い、
1646年6月には紹興などが清に攻略され、魯王は海上へ逃れて
鄭成功の元へ身を寄せた。
これにより隆武帝が唯一の皇帝となるが、1646年8月に清は福州へ侵攻し、隆武帝政権も崩壊する。その後、弟の紹武帝が皇位を継ぐが、これも同年のうちに清に敗れて自殺した。
1646年10月、桂王・朱由榔が肇慶で監国を称して、11月に即位して永暦帝政権が成立する。永暦帝は
万暦帝の孫であり、鄭成功に擁されて各地で抵抗し、一時は清を圧倒したが、清の
呉三桂に捕らえらて雲南へ連れられ、1661年に昆明で殺された。また
1662年には魯王・朱以海や鄭成功も病死するなどして、南明の滅亡は決定的となった。