北京は、
春秋戦国時代には小国
燕の首都
薊(けい)であった。
秦・
漢時代に
北平(ほくへい)と呼ばれようになり、
隋代には
大運河の起点となるなど、要所となった。
五代十国時代に、
内モンゴルから南下してきた
遼帝国は
燕雲十六州の割譲を受け、副都の一つ
南京とした。
金が遼を滅ぼすと、ここに遷都して
中都した。
元も金を滅ぼして
大都と改称して、都とした。
明が元を追い出した後、都はいったん
南京に移され、北平の名に戻されたが、朱棣(後の
永楽帝)によって都を戻し
北京が復活した。
中華民国も北京を首都としたが、
蒋介石の
中国国民党政権は、
南京を首都として、北京を
北平と改称した。
中華人民共和国成立後、再び首都北京となり、今に至っている。このように、北京は金以来の首都として、全国から人が集まる場所であったが、北方民族の支配を長く受けたために、
文法や
語彙に北方諸語の影響が見られる。一方、全国から官吏を集めるために行われた
科挙制度も、都北京の言葉によって行われていたため、全国の為政者や知識人に影響を与える言葉となっていた。