良沢が解体新書に自らの名を出さなかったのは、その翻訳の不備(とはいえ、当時の日本の語学水準からすれば、その翻訳は奇跡に近い完成度を誇っていた)を自らがよく解っており、これを恥として許すことができなかったためと言われている、また一説としては、蘭学に対する幕府の対応が微妙でもあったため、万が一の際に、最も蘭語に通ずる良沢に咎が及ぶのを避けるためと、前説の訳の不備に対する良沢の気持ちを杉田が酌み取ったためともされている。その後、蘭学に対する真摯な姿勢より、藩主
奥平昌鹿より「蘭学の化け物」と賞賛され、これを誉とし「蘭化」と号する。