フランツ・アントン・メスメル wikipedia|無料辞書
フランツ・アントン・メスメル(, ,
1734年5月23日 -
1815年3月5日)は、
ドイツの
医学者。動物磁気(magn?tisme animal, )と呼ばれるものの提唱者。メスメルは動物磁気と呼んだが、他の人たちはそれをメスメリズム(mesmerism)と呼んだ
[「animal magnetism 」という言葉を「メスメルの動物磁気」と翻訳する英語の慣例は、次の3つの理由のために非常に紛らわしい。]
・メスメルが「animal magnetism」という言葉を選んだのは、当時一般で使われていたmagnetic force(磁気力)、つまり、mineral magnetism(岩石磁気)、cosmic magnetism(宇宙磁気)、planetary magnetism(惑星磁気)と、一般には認められていないメスメル独自の磁気力をはっきりと区別するためだった。
・メスメルは、人間や動物の体を動かすためだけの特殊な力があると感じた。
・メスメルがanimal(動物)という言葉を選んだのは、その根源の意味(、つまり"breath"(生命、呼気))のためだった。メスメルは彼のいう「力」は、breathを持つあらゆる生き物、つまり、人と動物を指す、the animate beings(生命ある存在)が持っている属性だと確認しようとした。
) の「磁気」という意味を含んでいる、と指摘している。
◆初期の人生
De planetarum influxu in corpus humanum}}">
メスメルは
ドイツ、
シュヴァーベンのコンスタン湖の湖畔にあるイツナング村で生まれた。ディリンゲンと
インゴルシュタットの
イエズス会の大学で学んだ後、
1759年から
ウィーン大学で医学の勉強を始めた。
1766年にメスメルは(『人体への惑星の影響について』)というタイトルの
博士論文を出した。
月や
惑星の人体および病気への影響を論じたものである。といっても、
医療占星術()ではなく、ニュートンの潮の干満の理論に大きく依っていて、メスメルは人体の中にも潮の干満があり、その原因は太陽や月の運動に違いないと解説した
[Bloch, xiii]。 フランク・A・パティ(Frank A. Pattie)によって集められた証拠は、メスメルのその論文は、イギリスの有名な医者でニュートンの友人でもあった
リチャード・ミード(,
1673年 -
1754年)の本
[De Imperio Solis ac Lunae in Corpora Humana et Morbis inde Oriundis(『人体およびそこから生じる病気への太陽と月の影響について』)(1704年)Pattie, 16を参照。]の盗用であることを示唆している
[Pattie, 13ff.]。しかし、メスメルの時代の博士論文にオリジナルなものは期待されていなかったともパティは言っている
[Pattie, 13]。
1768年1月、
オーストリアの首都
ウィーンでメスメルは裕福な男爵の未亡人マリア・アンナと結婚、医者として開業した。メスメルは立派な屋敷に住み、芸術の
パトロンとなった。
1768年、宮廷の陰謀で12歳だった
モーツァルトが作曲した500ページにも及ぶオペラ『偽ののろま娘』(K.51)の公演が妨害された時、メスメルは自宅の庭でモーツァルトの1幕もののオペラ『バスティアンとバスティエンヌ』(K.50)の上演を取り決めたと言われているが
[Pattie, 30]、モーツァルトの伝記作家
ゲオルク・ニコラウス・フォン・ニッセン()はその上演が実際に行われた証拠はないと述べている。モーツァルトは後にオペラ『
コジ・ファン・トゥッテ』の中でメスメルを面白おかしく言及することで、昔のパトロンの名を不滅のものにした。
◆動物磁気の登場
1774年、メスメルはある女性患者に鉄を含む調合剤を飲ませることによって、患者の体内に「人工的な干満」を生じさせ、それから、患者の体のあちこちに磁石を付けた。患者は体中に流れる不思議な液体の流れを感じたと言い、数時間、病状から解放された。メスメルは磁石だけで治療ができたとは思わなかった。メスメルは患者を治癒させたのは動物磁気だと感じ、その研究を続けた。治療の一環としての磁石の使用はまもなくやめにした。
◆治療の手順
メスメルは患者たちを、個別療法と集団療法の両方で治療した。個別治療では、メスメルは患者の前に、お互いの膝が触れあうくらいの距離で座って、両手で患者の両方の親指を押し、患者の目をじっと見た。メスメルは患者の肩から腕に沿って手を動かす「passes(手の動き)」をした。それから患者の
季肋部(,
横隔膜の下あたり)を指で押し、時々は何時間もそこに手を置いたままでいた。多くの患者たちは奇妙な感覚を覚えるか、それが峠でじきに治癒されると考えた痙攣を起こすかした。治療の最後に、メスメルは謎の楽器
グラス・アルモニカで曲を演奏することがよくあった
[[外部リンク] The Bakken Library and Museum ]。
1780年までに、メスメルには個別治療が可能な数以上の患者がいて、それで「baquet(バケツ)」として知られる集団治療法を確立した。その治療を見たあるイギリス人医者は、次のように記述している。