エジプト遠征から帰国した
ナポレオン・ボナパルトと会談すると、すぐに魅了され、
ブリュメールのクーデタに積極的に参加。 1800年4月1日、元老院議員に指名される。 1804年にナポレオンが戴冠すると、帝国元帥に任命され、
レジオン・ドヌールのグランデーグル(Grand-Aigle, 大鷲)勲章を受章した。 1807年1月23日、ダンツィヒ(現
グダニスク)の攻略を命じられる。 この攻略作戦は、苦難の連続であったが5月19日、これを陥落させることに成功した。 この功績からダンツィヒ公爵の称号を与えられた。しかし、ナポレオンが
ヴェストファーレン王国の王に任命しようとすると、彼は妻と協議して、身分不相応であるからと断った。
ナポレオンが連合軍に敗北し、再びルイ18世がパリに戻ってくると、貴族の身分を廃されたが、元帥位はそのまま保持した。 1819年3月5日、許され貴族の身分を回復。 1820年にパリで死去。65歳。