1920年、独身であったペタンは42歳のユージェニー・アードンと結婚した。陸軍最高顧問となったペタンは
マジノ線の建設計画を始めとするフランスの防衛構想に大きく関与した。しかしそれは第一次世界大戦の戦争形式を踏襲するものであり、後年のフランス敗北の一因ともなった。戦後、ペタンは「私の軍事的精神は閉ざされてしまった。新しい道具、新しい機械、新しい方法が導入されたとき、私はそれに関心を持たなかったことを告白しなければならない」と語っている
[児島襄「誤算の論理」文春文庫(1990年)より、戦後の議会調査委員会に出席したペタンの発言]。