学校の方も優秀な成績で卒業し、1946年には
ドストエフスキー原作の『
白痴』のムイシュキン侯爵を演じた。この頃からその水際立った美男子ぶりと高い演技力から人気に火がつきはじめ、そして1947年、
レイモン・ラディゲ原作、
クロード・オータン=ララ監督の『
肉体の悪魔』で、その人気をフランスのみならず世界的なものに決定付けた。その後も同年に『
パルムの僧院』、1948年に『すべての道はローマへ』、1949年に『悪魔の美しさ』、1950年に『愛人ジュリエット』に立て続けに主演し、いずれも好評を博す。1951年には自身の代表作の一つとなる『
花咲ける騎士道』(' )でファンファン・ラ・チューリップを演じ、日本でも人気に火がつき、以降ジェラールに
ファンファンの愛称がついた。また映画出演のかたわら、舞台にも欠かさず出演していた。1952年に5歳年上の元ジャーナリストのアンヌ=マリー=ニコール・フールカードと結婚、その後3人の子を儲ける。
1953年(
昭和28年)
10月16日、日本で開催された「フランス映画祭」のため
来日。日本中の女性ファンを魅了した。当時は今と異なり、来日する欧米スターが少なかったことから、そのフィーバーぶりは並大抵のものではなかったという。
京マチ子、
田中絹代、
三益愛子、
山田五十鈴、
池部良、
木下惠介監督、
早川雪洲ら日本映画界のスターたちも歓迎会に出席し、そのときのジェラールの印象について、
高峰秀子は雑誌『
映画の友』1954年1月号の記事に『逢へば逢ふ程、自然だし、見れば見る程、優雅だし、話せば話す程、そのデリカシイにはただただ感心するばかり、(中略)言ふなれば、「気に入っちゃった」である。(抜粋)』と残している。
その後も
ルネ・クレマン監督の『しのび逢い』に出演したのち、1954年には
スタンダール原作の文芸大作『
赤と黒』に
ダニエル・ダリューを相手役に主演し、絶賛を浴びた。
ブリジット・バルドーは新人時代に映画『
夜の騎士道』で彼と共演した時のことを、近年発売された自伝の中で『彼は生きながらにして、すでに伝説の人だった。』と述べている。1956年には念願だった映画監督に挑戦し、『
ティル・オイレンシュピーゲルの冒険』を撮るも、映画は不評で、結局彼の監督作は1本だけとなってしまった。1957年からは一俳優からやり直し、『
モンパルナスの灯』で36歳で世を去った天才画家
モディリアーニを演じきり、再びその人気を取り戻した。1959年には新進気鋭の
ロジェ・ヴァディム監督による
ラクロ原作の『
危険な関係』に出演するも、『熱狂はエル・パオに達す』のロケ中に体調を崩し、
ヌーヴェルヴァーグ時代に突入したフランス映画界を見ることもなく、11月25日に
肝臓ガンにて帰らぬ人となった。奇しくもモディリアーニと同じく36年の短すぎる人生だった。そして現在はその後1990年に73歳で亡くなった愛妻アンヌと共に南フランスの
ラマチュエルの墓地に眠る。また彼の故郷だったカンヌの駅前には「ジェラール・フィリップの広場」と書かれた青いプレートが飾られている。