現在は
ベルギー領になっているザンクト・フィット (Sankt Vith) に生まれる。若い頃より商業に関心があり、
1886年(24歳)、
アルゼンチンの
ブエノスアイレスに移住し兄の店の支店を開く。事業は成功したものの
インフレと
デフレを繰り返すアルゼンチン経済を問題視するようになり、金融問題の研究への関心を深めてゆく。
1900年、
欧州に戻り、晴耕雨読の生活を続けながら主著「自然的経済秩序」 (Die Natuerliche Wirtschaftsordnung) などを著す。
1918年‐
1919年のバイエルン革命で成立したバイエルン・レーテ共和国では、アイスナー首相暗殺後のランダウアーの内閣で金融担当大臣に就いたが、一週間で共産主義者が権力を奪取。ほどなく革命も終焉し、彼は国家反逆罪に問われ拘留された。オラニエンブルク (Oranienburg) で肺炎で死去。
彼の主著「
自然的経済秩序」
[相田愼一訳『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』ぱる出版、2007年 ISBN 978-4827203318][岩田憲明・廣田裕之訳 [外部リンク] シルビオ・ゲゼル研究室 代表作「自然的経済秩序」]では、あらゆるものが減価するのに通貨だけが減価しないために
金利が正当化され、ある程度以上の資産家が金利生活者としてのらりくらり生きている現状を問題視し、これを解決するために
自由貨幣、具体的には
スタンプ貨幣という仕組みを提案した。これは一定の期間ごと(1週間あるいは1月)に紙幣に一定額のスタンプを貼ることを使用の条件とすることで通貨の退蔵を防ぎ、流通を促進させ貸出金利を下げるのが目的である。他に、男性に経済的に依存することなく女性が子育てに専念できるようにするための、
自由土地の思想に基づいた母親年金も提唱している。