元の時代、チンギス・ハーンの霊廟はモンゴル高原北東部の
ケルレン川流域にあり、オルドス部の先祖たちもこの地域で遊牧していたが、15世紀頃、オルドス部は霊廟とともに南下して、
漢民族が古来「河套」と呼んできた黄河の屈曲部に入り、のちに
オルドス高原と呼ばれる高原に移住した。
イブラヒムが
1510年にダヤン・ハーンによって滅ぼされ、モンゴルが再統一されると、オルドスは同じく西部のトゥメンである
トメトに婿入りしていた三男のバルス・ボラトの支配下に入った。オルドスのバルス・ボラトは父ダヤン・ハーンの死後、チャハル部と大ハーンの位を継承した甥のボディ・アラクを差し置いて一時はハーンを自称するほどの勢力を誇ったが、その死後長男のグンビリクがオルドス、次男の
アルタンがトメトを継ぎ、オルドスとトメトは再分割された。
1542年、オルドスのグンビリクが死ぬと、トメトのアルタンの勢力がオルドスを凌ぐようになり、アルタンはチャハルの大ハーンからハーンの称号を許されるに至った。オルドスのジノン家はこれ以降もっぱらトメトのハーン家と行動をともにし、オイラトと戦って
青海を占領し、
ジュンガリアや
チベットまで侵攻するなど、西方に勢力を拡張した。