ロンドンに
メソジストの役職者の家に生まれた。
キングス・カレッジ・ロンドンに入学したが卒業はしなかった。ロンドン銀行に勤めた後1873年に王立天文台の分光助手を務め、太陽黒点の撮影と測定も行った。1904年に約11年周期で黒点の出現する緯度が変化することを蝶型図で示し発表した。天文台に残された黒点の観測資料を調べ1645年から1715年の間に太陽活動が低くなった時代が存在したことを提唱する論文を1894年と1922年に発表したが当時は注目されなかった。1970年代に
パーカーによってマウンダーの研究が再発見され、この黒点の少ない時代はマウンダー極小期と呼ばれることになった。
2度目の妻のアニー・マウンダー(Annie Scott Dill Maunder:旧姓 Russell:1868-1947)も王立天文学会に入会を認められた天文学者であり、夫と共同研究した。